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北里柴三郎

“日本近代医学の父”とも言われる北里柴三郎は1853年(嘉永5年)、熊本県阿蘇郡小国町に生まれました。幼少期を阿蘇で過ごした柴三郎は、現在の熊本城内にあった熊本藩の学校「時習館(じしゅうかん)」で学び、その後、人生を大きく変える出会いがあった「古城(ふるしろ)医学校」(現在の熊本大医学部)に入学。そこで、同学校の先生であり、オランダ人軍医だったマンスフェルトと出会います。古城医学校は、明治維新後、熊本が教育の近代化を目指し、熊本洋学校とともに設立した学校でした。

軍人か政治家になり、日本を強国にしたいと思っていた柴三郎が、生涯を医学に捧げることを決めたのは、この「マンスフェルト」との出会いがきっかけでした。その後、東京医学校に進学した柴三郎は、ドイツに留学し、血清療法の発見によってその名を世界に轟かせることになります。

しかし、東京医学校時代の柴三郎は、そのまっすぐな性格から、教授などとも論争するなど、学校からの評価も決して良いとは言えず、留年を重ね、ドイツ留学などまるで無縁な状況でした。
また、ドイツからの帰国後、「国立伝染病研究所(=伝研)」の所長時代も、伝研が東京帝国大医学部の管轄下に入り、質の高い伝染病研究ができにくくなる可能性が出てくると、所長という立場をきっぱりと捨て去り、私財で「北里研究所」を設立。運営には困難を伴いながらも、信念を貫き続けました。

そうした柴三郎の行動の背後には、医学を志した当初から、日本を“真の強国”にするためには、「予防医学」が確立された国にならなければならない、との信念がありました。

そのような柴三郎の信念と実行力は、70歳を超えてからもなお発揮され、当時の乱立した医師会を束ね、「日本医師会」を創設。初代会長を務めるなど、日本の医学・医療の礎を築くことに最後まで尽力しました。
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<地図(Map)>
古城医学校跡地(現在の第一高校) 熊本大学医学部

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