熊本の地域資源(=誇り)を知る。

熊本城

熊本城は、「日本3名城」の一つであり、主には、1591年(天正19年)から1598年(慶長3年)の7年間にかけて築かれたと言われています。

熊本城のすごさは、“築城の名手”である加藤清正が「あらゆる攻撃に耐えることができる城」にした点です。そのため、熊本城内には、篭城(ろうじょう)戦に備えて、120以上の井戸が掘られたり、熊本城が「銀杏城」(ぎんなんじょう)と呼ばれる理由も、城内に食糧となる銀杏が多く植えられていたからだと言われています。

中でも、熊本城で圧倒的な存在感があり、荘厳な美しさを放っているのが、「武者返し」(むしゃがえし)と呼ばれる石垣です。
名将・加藤清正は、自身の幾多の実戦での経験をもとに、とくに石垣を緻密で頑丈なうえ、高さが上に行くほど勾配が急なつくりにしました。敵の武者たちをもひっくり返す、という意味から、「武者返し」という通称で呼ばれています。

また、現在の熊本城には、加藤清正の時代に築いた石垣と、細川の時代に築き足したものとがあり、その石垣の違いを同時に見ることのできる「二様の石垣」と呼ばれるスポットがあります。さらに、城の東部にある「長塀(ながべい)」は、高さ約6メートルの石垣が、長さ242メートルにわたり直線に続いており、現存の日本の城郭の塀では「日本一」の長さを誇ります。(※現在は2016年の熊本地震による影響で工事中)

難攻不落の城として恐れられた熊本城ですが、実際にその強さが証明されたのは、実は明治時代に入ってからでした。「西南戦争」の際、官軍の拠点となっていた熊本城を攻め落とそうとした薩摩軍が、結局は攻め切れず、撤退することになります。そのときに、薩摩軍の司令官であった西郷隆盛が「官軍に負けたのではなく、清正公に負けた」と呟いたという逸話はあまりにも有名です。
現在の熊本城は、その西南戦争で消失した天守閣などを復元したものです。
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<地図(Map)>
熊本城

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<関連サイト>
熊本市観光ガイド

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