熊本の地域資源(=誇り)を知る。

加藤清正

加藤清正(かとう・きよまさ)は、1562年(永禄5年)に尾張国(現在の愛知県)で生まれました。清正の母親が豊臣秀吉の生母と従姉妹であったとも伝えられており、1572年(天正元年)、近江長浜城主となったばかりの秀吉に小姓として仕えました。その後も、織田信長の後継者としての位置を固めていく秀吉の下で、数々の戦功を立てていきます。

一方、当時の熊本は、政治的にも不安定な状況が続き、内乱を繰り返していました。秀吉に藩主として熊本に送られた佐々成政は、農民らの大一揆の罪を問われ切腹となります。そうした状況で、1585年(天正13年)に熊本入りした藩主が加藤清正でした。

また、熊本入りして以降、荒れ川だった白川(しらかわ)の治水・利水を行い、干拓事業も進め、農地が整備されることにより、清正の就任当初は52万石とされていた石高も、後の検地では72万石にまで上昇したと言われています。

さらに、清正は、熊本城を築き、石垣「武者返し」(むしゃがえし)をはじめ、あらゆる攻撃に耐えられるよう、荘厳で機能的な城として完成させます。“築城の名手”でもあった清正は、その後、大阪城や名古屋城の石垣づくりも指揮しています。

時の権力者が秀吉から徳川家康に移って以降も、秀吉への忠孝は変わることなく、清正が病気で亡くなる1611年(慶長16年)まで、秀吉の息子・秀頼と家康とを面会させ、豊臣家を存続させようと尽力します。熊本市内の立田山には、清正が秀吉を偲んで建てた「豊国廟(ほうこくびょう)跡」もあります。
そうした、忠孝を貫く清正の姿も、熊本を安定させたことと合わせ、「清正公さん」(せいしょこさん)として今なお熊本の人々に敬われ、藤崎八幡宮秋季例大祭で祀られ続ける理由であるのかもしれません。
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熊本城 加藤神社 本妙寺

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