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横井小楠

横井小楠は、幕末から明治維新期に影響を与えた思想家であり、儒学者です。熊本で藩政改革を行おうとするも、冷遇され、最終的には改革は失敗に終わります。しかしながら、小楠の門下生たちは「実学党」と呼ばれ、その後、熊本の藩政改革の主導権を握るなど、学校建設や殖産興業などを実行し、熊本の発展に貢献していきます。

一方で、小楠自身は、熊本で冷遇されながらも、福井藩主であり、後に幕府の政事総裁職に就く「松平春獄」に見出され、福井藩の政治顧問、さらには、幕府の政治顧問にも就き、その先見性から、勝海舟や坂本龍馬にも一目置かれる存在となります。
勝海舟は、横井小楠のことを、「おれは今迄に天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ。横井は西洋の事も別に澤山は知らず、おれが教へてやった位だが、その思想の高調子な事は、おれなどはとても梯子を掛けても及ばぬと思った」(『氷川清話』より) と語っており、坂本龍馬も、小楠が熊本で私塾を開いていた「四時軒(しじけん)」に3度にわたり足を運び、明治新政府で要職に就くことを懇願しています。

明治元年にあたる1868年、明治新政府の「参与」に就いた小楠は、政府の他の重要な官職にいる人たちの相談役のような立場としても存在感を強めていましたが、その翌年の1869年、攘夷論者に襲われ、命を落とすことになります。
横井小楠記念館には、暗殺者たちに囲まれて小楠が戦った時の短刀が飾られています。そのように、明治新政府の主要な立場にいる人たちの中で最初に暗殺された人物となったことも、小楠の当時の影響力の強さを物語っているのかもしれません。
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<地図(Map)>
横井小楠記念館(※熊本地震による被害で一時休館中)

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